時にはこういう話も。

もぐねこ

2009年11月28日 10:57

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「親になってみないと解らない」


私の母によく言われたセリフだ。

ここ数年のことかな?そのセリフを聞いても、どこかで反発的な感情を抱きつつ、軽く流してしまうばかり。「まぁそうだろうねぇ」と。
だが実際、本当に理解できなかった。そりゃそうだ、子供なのだから。

結婚して7年、旦那との二人の生活にしっかり慣れてしまい、周りからも半ば諦め半分で子供はまだかと問われていた。まだかまだかと言われるほど、どこかで高まる反発。天邪鬼だなぁと我ながら思う。

こうして旦那と二人で気楽にずーっと生きていけばいいやと思ってた。

子供ができたらその自由がなくなる、大きな責任を負わなければならない。

心のどこかで子供を持つことが恐かった。



ずっと逃げてました。本当は。



仕事が忙しかったのも事実だけど、それを隠れ蓑にしてた部分もあるなぁ。

そして7年が過ぎた頃、ある日ふと思った。
何故だかわからない。でも、本当にふっと沸いた感情。
「子供、出来てもいいかな・・・」

そう思った日の前後だろうか、姉が母に妙な事を口走った。
「お母さん、私子供ができるような気がした。」
今まだ彼氏おらずの36歳だというのに(´Д⊂

その姉の発言があった頃、私は坊を授かったのだと思う。
不思議な出来事もあるものだね。

いつもお世話になってるくま鍼灸院のくま先生に、「準備が整えば自然にできるものですよ」と言われたのが印象深かった。準備とは、周りの環境もだろうけど何よりも自分自身の事なのだろう。逃げているばかりじゃ赤ちゃんもいやだもんね。

今、その子供をこうして見つめている。
確かに責任は非常に重い。子が中心の生活、これからはもっと振り回されることだろう。
でも、それを何十倍も上回る、幸せのシャワー。
坊を抱きしめ、その優しい暖かさを感じるごとに、私の細胞の隅々まで「幸せ」が満ちていく。からっぽだった部分が埋まっていく。この子の為ならどんな苦難にも立ち向かえると思える。


「親になってみないと解らない」

その通りだね、お母さん。


私はまだ母親という存在のほんの始まりに過ぎないけれど、今その存在になれた事を、本当に心から嬉しく思う。



【おまけ】

良い写真と思いきや、私の一部(右下の股広げた物体)により残念。



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